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第22回 学祖?下田歌子展 —実践女学校と姉妹校—

画像イメージ詳細チラシPDFファイル(PDF 4.99MB)

画像イメージ出品目録PDFファイル(PDF 289KB)

画像イメージ展覧会パンフレットPDFファイル(PDF 10.42MB)

 実践女子学園の創立者である下田歌子は、安政元年(1854)8月8日、美濃国岩村(現在の岐阜県恵那市岩村)に、岩村藩士平尾鍒蔵と妻、房の長女として生まれ、幼名を鉐といいました。明治3年(1870)父鍒蔵が明治政府より召し出されたことから、鉐も翌年単身上京し、明治5年(1872)に宮中に出仕します。和歌の才能を評価され、皇后(後の昭憲皇太后)から「歌子」の名を賜り、以後「歌子」を名乗ります。宮中を辞した後、明治15年(1882)に私塾、桃夭学校を創設し、政府高官たちの妻や娘たちの教育にあたりました。明治18年(1885)に皇后の命により華族女学校が開設されると幹事兼教授に任ぜられ、校長事務を代行し、翌年には華族女学校学監に就任しました。

 明治26年から28年(1893-1895)に欧米8カ国を視察した下田は、国家興隆の基盤は女子教育にあると考え、殊に一般の女性たちの地位向上と生活改善を図ることが必要であると考え、明治31年(1898)、帝国婦人協会を設立しました。その教育部門として明治32年(1899)5月に現在の千代田区麹町一丁目に実践女学校を開校しました。入学者が多く校舎が手狭になったため、皇室の御料地であった渋谷常磐松町を借用し、校舎を建設し、明治36年(1903)4月現在の実践女子学園中学?高校の所在地へと移転しました。

 第22回学祖?下田歌子展では、実践女学校の設立から発展、そして今年からちょうど百年前にあたる関東大震災の前後の実践女学校に関する資料を展示し、下田が関わった姉妹校についても取り上げます。

 

会   期 :2023年4月3日(月)~5月12日(金)
開館時間:10:30~17:00
休 館 日 :土?日曜日、5月3日(水)~5日(金)
入 館 料 :無料
会   場 :実践女子大学香雪記念資料館 企画展示室1?2
主   催 :実践女子大学香雪記念資料館
後   援 :渋谷区教育委員会

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